悲しみに沈んだ日曜日。
2025年4月27日、香港チャンピオンズデー。
私にとって忘れられない、悲しい日になってしまった。
最後の直線、リバティアイランドの異変に気づいた瞬間、頭が真っ白になった。
あまりにも痛々しい姿に、胸が引き裂かれるような思いだった。
ただただ無事を祈るしかできなかったけれど、届いたのは信じたくない訃報だった。
何も手につかず、ただ悲しみに沈む中で「リバティに対して何かできることはないだろうか」と考えた。
たどり着いた答えは、リバティアイランドのことを後世に伝えることだった。
競馬ブログを書いている私だからこそ、リバティとの思い出と感謝の気持ちを、言葉にして残したい――そう思った。
この記事では、リバティアイランドへの想いを、心を込めてつづっていきます。
リバティを初めて見た日
リバティアイランドを初めて見たのは、2022年の阪神ジュベナイルフィリーズだった。
最後の直線、ひときわ目を引く末脚で、あっという間に抜け出してきた。
実況の「スタンド揺るがすこの破壊力!」という言葉が、胸に響いた。
2歳の女の子とは思えない、その圧倒的なパワーに、私は興奮を通り越して、恐怖すら覚えた。
「こんな馬がいるんだ。」
それが、リバティアイランドとの最初の出会いだった。
抗いながら、惹かれていった日々
その強さに惚れた――と素直に言えればよかった。
だけど私は、リバティに抗おうとしてしまった。
「リバティに勝てる馬を探したい。」
そんな風に思って、桜花賞ではコナコースト、オークスではハーパーを応援していた。
でも、リバティはそんな私の小さな抵抗を軽く吹き飛ばした。
負ける姿が、まるで想像できなかった。
「次はどんなレースを見せてくれるんだろう」
気づけば私は、リバティの行く先を、心から楽しみにするようになっていた。
抗うほどに、惹かれていった。
それもまた、リバティが持っていた、不思議な力だったのかもしれない。
生で見たリバティ、そして確信
秋、リバティはジャパンカップという大舞台に立った。
相手は、世界最強馬・イクイノックス。
その他にも現役トップクラスの馬たちが出走する中で、リバティがどれだけやれるのか、
レース前からワクワクしていた。
私は現地に行った。
初めて生で見るリバティ。
パドックでも返し馬でも、彼女は堂々としていて、
「もしかしたらイクイノックスに勝っちゃうかも。」そんな雰囲気があった。
結果は2着。
負けはしたものの三冠牝馬として立派なレースぶりだった。
また私は確信した。
これからの競馬界を、リバティが引っ張っていくんだと。
本命では買わない。しかし心の底では応援していた。
年が明けて、リバティはドバイへ。
結果は3着。
やっぱり私はほかの馬を応援していたが、
「リバティはこんなものではない」
と心の底では次なる活躍を願っていた。
しかし帰国後、リバティが怪我をしていたことがわかった。
もうしばらく、彼女の走りは見られない。
それがとても寂しかったけれど、私は秋になったらまた、輝く姿を見せてくれると信じていた。
迎えた秋、天皇賞。
私は東京競馬場に足を運んだ。
本命はべラジオオペラ。
それでも、心のどこかでリバティの走りを待っていた。
リバティがどんな競馬をするのか――
あの直線で、またとんでもない豪脚を見せてくれるんじゃないか――
そんな期待を、手のひらでそっと握りしめながら、私はレースを見守った。
だけど、リバティは13着に敗れた。
信じたくない光景だった。
「あのリバティが…」
胸の奥に、静かにショックが広がった。
それでもリバティは、諦めていなかった。
次に向かったのは、香港カップ。
できればジャパンカップでリバティに会いたかった。
少しだけ、そんな寂しさを抱えながら、香港で走る彼女を見守った。
異国の地でリバティは堂々と戦い、2着に食い込んだ。
久しぶりに、強いリバティを見ることができ、私は少し、ホッとした。
「また、国内でリバティが走る姿を見たい」
心から、そう願った。
だけど、その願いは叶わなかった。
リバティは、日本のターフを踏むことなく、
遠い異国の地で、静かに空へと旅立ってしまった。
ありがとう、リバティアイランド
たくさんの感動を、ワクワクを、本当にありがとう。
競馬を始めたばかりだった私に、競馬の楽しさ、難しさ、喜びを教えてくれたのは、間違いなくリバティだった。
もっと、君の勝つ姿が見たかった。
そして、君の子どもたちがターフを駆ける姿も、いつか見たかった。
それが叶わないことが、ただただ悲しい。
でも、あなたが残してくれたものは、ずっと私たちの心に生き続ける。
リバティアイランド、お疲れ様。
天国では、ドゥラメンテパパにいっぱい甘えてね。
私たちは、あなたを絶対に忘れない。
これからも”最強のお嬢さん”として、私の記憶に残り続ける。
ご冥福をお祈りいたします。
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